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2013年08月31日

父に会いたい

父の死で、いろいろありました。
時間は 4ヶ月が過ぎましたが、
あっという間です。
いろいろと、順序立てて、やらなくてはいけないことが
次から次へ、ありすぎます。

認知のある母と、
病気のある弟の二人暮らしになりました。

離れて暮らす、私と妹が通って
手伝えることをしているところです。

母の状態が進んできているので、
私や、妹の顔がわかるうちに、
墓やら、なんやらをちゃんとしなくては。。。

考えれば考えるほど、
どうしていいのか、
わからないことがあります。
できること、出来ないこと、
考え方も、兄弟それぞれ、一致するとは限らない。
力を合わせて、乗り切りたいです。
posted by BURIO at 21:19| Comment(0) | 私の両親 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月05日

とうとう、来ました

月末月初、
帰宅時間が読めないくらい忙しいこの時期です。

ようやく、へとへとで自宅に着くと、
留守番電話が、恐ろしい数入っていた。
しかも、そのほとんどが無言。
一言だけ、声が入っていた。。。。

私の母だった。

昼頃に、かけ始めたらしく、
夜の8時過ぎまで、移動の度にかけ続けたと予想された。

「BURIOさん〜、何ででないの?
今から、ちょっと、行こうかと思って〜(笑い
じゃあねえ〜〜〜。」

何で、でないの?って?
仕事してますから、出られませんし、家にいませんから!

こちらの都合もお構いなしに、
あたしが用があるんだから、
居て当たり前!!!的な、毎度の発想に辟易してます。
ほんとに、毎度のことで、息が苦しくなります。

記憶が消えていくので、
わが家にたどり着いたら万々歳的な勢いでしたけど。。。
それにしても、通常の5倍以上の時間をかけて、
母は自力で私の家に、それでもたどり着きました。
おかげさまで、残業してきた私は着替えもままならず、
一口の水も飲めず、母の対応で、必死でありました。

一人で帰ると言い張る母でしたが、とてもそんな状況ではありませんでした。
全く、覚えてないんです。
その原因も、私のせいらしいです、、、母の言い分だと。


認知マックスの母が、家計の一切を牛耳ってます。
決定権を譲ろうとしません。
食べる物も食べられず、整容・介護もままならない父のことも、
通院さえ、必要ないと言い張る母です。

入浴時の湯船には足首以上のお湯を入れたら、絶対許さない!という、母です。
洗濯に水を使うことが許せないと、洗濯をさせてくれない母です。
腐った物をありがたそうに口にする母です。
そして、家族にもそれをなおさらすすめて食べさせています。

私は実家のお茶さえ怖くて飲めません。
急須の中のお茶っ葉は力ずくでも替えさせてくれませんから、
飲むなんて、できっこありませんよ。

母の父〜
すなわち、私の母がたのおじいちゃんは、
相当、認知で、俳諧すごかったです。
母も、そうだとすると、
その娘の、私に至っては。。。。
いったい、どうなることやら、先行き、思いやられますよ。。。(泣
posted by BURIO at 22:23| Comment(0) | 私の両親 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月09日

家に帰れない

認知が進み始めていた実母が、とうとう、
自力で自宅に戻れなくなり、警察に保護されました。
何を言っても、いっさい聞く耳を持たない人なので、
今回のことも、動じません。
昼間に、銀行用事で自転車ででかけ、
翌日の昼に警察から連絡もらったそうです。
その夜は、とてつもないゲリラ豪雨の夜でした。
自宅より、とても離れた林の中、一人で夜をどう過ごしたのか?
本人は全く覚えていないそうです。
ただ、「帽子かぶっていたから、なんでもなかったの」と。。。。
踏切のところで、倒れていたところを、
通行人の方が声をかけてくださり、
その応答があまりにも異常だったので、
警察に連絡をしてくださったということらしいです。
まずは、けがもなく、無事に保護されて、ほっとしました。
今後のこと、どうしていったらいいのか。。。。
そして、自分も、年をとっていくと、
そんな母のようになっていくのかな?と、
一抹の不安が頭をよぎります。
そろそろ、親の老後の心配から、
現実介護の生活へと、そんな時期にさしかかってきたようです。
果たして、私に何が出来るのか、気持ちがまとまりません。

母が帰宅してないことを私が知ったのは、
発見された日の早朝です。
実父より、電話があったのです。
もしもし〜と、私がでると、
「なんだ?おまえ、元気そうじゃないか。」
「あのな、帰ってこないんだよ。どうしようか悩んだんだが、
恥を忍んでおまえに電話してるんだよ。」

え?一晩、帰ってこないなんて?だって、夕べはあんなにすごい集中ゲリラ豪雨じゃなかったっけ?

「なに?雨が降っているのか?」

父は全く外に出てないらしく、耳も遠いので、わからなかったんでしょう。

なんで、一晩もほっとらかしで、平気だったんでしょう?
今頃、私に電話なんて。。。。

わかりました、
おなかが空いたんです。
誰も、 父に朝ご飯を提供してくれなかったから、
私に何とかしてくれと、連絡があった、そういうことです。

母って、いったい。。。。
心配してあげてもいいじゃない。。。。
なんか、
なんかぁ!!!!!

重たくなりました。
posted by BURIO at 21:11| Comment(2) | 私の両親 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月27日

父のケアマネからの電話

着いたらしいです。
私の速達。

まあ、ケアマネの反応、
あんなもんだったから、
逆に、どん引きでした。

まあ、いっか〜。
何とかしてもらえると思ってなかったしね。
すべて、伝えた。

あとは、当事者たちがどうしたいか?
どうしていくか?
どうぞ、行動してください!
そういうところでしょう。

無理無理、いやなところを我慢するのではなく、
自己決定の元に、おやりくださいと、
そういうことです。

いろいろと、
心配なことも山積みですが、
拒否まくりの、我が両親のやり方であれば、
こう対処するのもありかと、考えます。

どうなることやら、
楽しみであり、うんざりであったりもします。
posted by BURIO at 22:36| Comment(0) | 私の両親 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月25日

五月もあと少し

今月は、否が応でも毎週実家に行ってました。
父の通院介助やら、服薬管理、
介護認定更新などで、関係スタッフの皆さんとも、
担当者会議もありました。

介護度が変わったことや、
かかりつけ医も変わったし、
今後持病以外にも、歯科治療も加わります。
身体機能の衰えに伴い、サービス内容も自ずと変わってきます。
その旨、世帯をともにしている我が弟にも報告相談もしたい、
離れて暮らしているが、時間を見つけては新幹線で駆けつけて衣類の入れ替えや、生活援助をしてくれる妹にも話をしたい。
私は、相談したくて仕方がない私です。

記録のようなものは実家に毎回残しています。
でも、弟からは一切連絡なし。
きっと、まったく、誰も見てないんでしょうね。

こちらからやっとの事で電話がつながっても、
何も反応なし。

しまいには電話を母に替わられてしまいましたよ。

しかも、替わった母から、
「○○ちゃんはね、今会社から帰ってきたの。
  忙しいのよ。とっても疲れて、帰ってきてるの。
   あんたと、電話で話なんてしている時間なんてないのよ。
   あんたと、話なんてしちゃいけないの。
  いい加減にしなさいよ、いったい○○ちゃんを
  あんたは、どうしようっていうのよ、いい加減にしてよ。  
  おかしいじゃないよ、あんた、酔っぱらっているんじゃないの?
  酔っぱらっているに違いないわ、
  さっきっから、おかしなことばかり言って、いいかげんにして!
 とにかく、○○ちゃんに余計なことは言わないでちょうだい。
  あの子は、あんたと違って、素直で優しいいい子なんだから。
  あの子はほんとうに、よくしてくれるいい子なんだから、
  もういい加減にして。
  あなたと、電話をしている時間はないの。」

何なんでしょうね。。。。?
やってられませんよ。。。。

現状を見ようとしません。
情報提供しても、認めません。
拒否どころか、批判、否定の嵐です。
それでいて、悪いことは自分以外の人のせいです。
そして、止めどもない欲求を自分以外の誰でもが、
最高の形で提供してくれて当然だという姿勢なのが見えてきて、
高齢と、認知のせいだとわかってはいても、
もう、私は、呆然としています。

矛盾だらけなのです。

父「俺の言うことはわがままかね?」
先日、ケアマネに言ってましたよ。

ケアマネはしどろもどろに無駄に笑顔でへらへらしてました。

わがまま?
私にもよくわかりません。

わがままの基準の物差しの目盛りって、
きっと、父の目盛りと、私の目盛りとでは
果てしなく違っていると思うから。。。。
何も言えやしない。

あれもいや、これもいや、
そういう認知の母のケア。

マニュアル道理の理解を例にしても、、、
認知の当事者を手厚くケアしたとして、
そのために周りで必死にがんばる家族って、
最悪の精神状態ですよ?
ぶっちゃけてしまうと、マジ、つらいです。

果てしなく時間と、体力、精神力、
そして、自分の現状の生活がぶち壊れていく覚悟を否が応でも強いられます。
これにほかの家族が協力理解してくれているのなら、
まだ、救いはありますが、
その逆だったりすると、
もう、最悪です。

私がその真っ最中です。

(甘えたことを言ってくれるなと、そういわれてしまいそうですね。
 独りよがりですいません。
 世間には、もっと、重度の高齢者のかたを見ている方もいるでしょうが、ごめんなさい)

結論を言うと、
この段階でのやるべきこと、
相当、手は尽くしました。
とはいえ、
あくまでも、これは私の独りよがりの自己満足ですけどね。
両親、兄弟にも、できる限り働きかけたつもりです。

しかし、結果は、
すべて私が余計なことをしたのだと、
そういう理解でしかありませんでした。
当事者がそういうんですから、
そうなんでしょう。

というわけで、
問題は山積みですが、
私はいっさい手を引くことにしました。

望まれないことをやってきた
暇をもてあました身勝手な長女の気まぐれと、道楽ということらしいです。

何度も、話し合い、相談の機会を設けました。
弟とも話をしたくて電話しても、両親からだめだと言われ、
やっと、父から弟と連絡を取ってもいいと、お許しが出たので
電話したら、話の途中で母が替わってしまったっきりです。
何も、、何も、話せない。
話をしようとする私が異常なんだと、そういわれました。


自分が壊れます。
今でも、いっぱいいっぱいです。

ケアマネに手紙を書きました。

本人および、世帯の皆さんの好きなようにやっていただいてくださいと。
posted by BURIO at 20:17| Comment(2) | 私の両親 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月17日

認定結果

要支援からスタートした父でした。
半年前に要介護2になり、
そして、今回の結果は〜?

要介護3になりました。

ちょっと、びっくりです。

軽くなるとは予想していましたが、
まさか、一段階重くなるとは。。。。

まあ、そんなこんなで、
ケアマネやらデイサービスの職員さんも交えての、
担当者会議があります。

スタッフがいろいろとメニュープランを作成してくれても、
娘の私が少しでも両親の生活面のサポートになればと提案しても、
全く全否定してくる母という、強固なる壁が立ちはだかってます。

前に、果たして進めるのでしょうか?

まずは、実家へ行ってきます。
posted by BURIO at 08:45| Comment(0) | 私の両親 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月06日

実家がやばいです!!

認知が進んでいる私の母の言動がますますあやしいです。

父の病状が良くないことはもちろんで、
その件でも、山盛りにいろいろと走り回っていた私です。
なんとここに来て、母が壊れてきました。

母の兄弟からのオレオレ詐欺まがいの振り込みに数十万を
けろりと振り込んだり、
全く、理解してない保証人だかなんだか、
わからない書類に、サイン、捺印をしたらしいと言うこと。

それに加え、近いうちにその人がお供を連れて
母のために力になってあげるという名目らしいのですが、
あちこちと型の来ている実家の修理やら、メンテナンスにくるというのです。
なんで、関東圏の我が実家まで、
東北の最果ての地から、
わざわざやってくるのでしょう?

通院介助で自宅を訪れていた私に
父から得た情報です。
母にそれとなく聞いては見ましたが、のらりくらりと何もわからずじまい。
私は気になり、帰宅後に妹にその旨相談しました。
で、妹が母に電話で問い合わせ
なんとなく、この話の輪郭がみえてきました。

ますますやばい状況なので、
とにかく事実確認を急ぐ必要があり、
妹相談して、お互いに情報を集めました。


結果。
最悪です。

同居の弟も母に振り込みをしてはいけないと言った、
父も、母にやめろと言った。
でも、結果振り込んでしまった。

それ以前にもその親戚に三桁のお金を貸したが
最初の内だけ少し返済あっただけで、もう、返ってこない状況。
親戚だからと言うこともあるのでしょうが、
母は、もう、返してくれなくていい、と言ったらしい。

母の実家の他の兄弟に妹が聞いてくれた情報によると、
地元ではいろんな人からお金を借りていて、返せてない。
自宅に電話しても、取り立ての電話があるらしく、
家族は自宅の電話には出ないそうだと。
その兄弟も、その親戚にお金を貸しているそうだが、返ってこないとのこと。
母にも、あげるつもりなら構わないが、
もう、貸すのはやめた方がいいと、話したことがある、と言っていた、と。

あげてみんな持って行かれて、
それで済めばいいけど、

最悪、その人がにこにこと、母を「姉さん。」と呼び、
人なつっこくねだれば、
母がサイン、捺印してしまうのは確実だ。

実家がなくなるかもしれない。。。


心配かけたくなくて、
詳細については今まで私の夫には打ち明けていなかったが
相談してみた。

夫「数十万円振り込みさせたことで、
  まだ、引き出せると相手は思っている。
  複数で押しかけ、寝泊まりしにくる、
明らかに、根こそぎもってかれるよ。

その親戚の旦那ひとりの仕業なら
その女房に協力してもらうことも出来るが、
他の地元の母の兄弟からの情報だと、
その女房が指示していることがわかっているなら、
もう、これは、完全にやられるよ。
しかも、その親戚の成人した息子も一緒になってやってくるッていうんだから、おかしすぎる。

もう、何をやっても、
取られる。

そのことより、
無くなった後、
まだ生きている人間が三人残るんだよ。
両親と、おまえの弟とと。
その三人を誰が面倒見れるんだ?
無理だ。

まるで、どこかの映画化ドラマみたいな話しで、
俺は信じられないけど、
ほんとに、やばいよ。

おまえのお袋につきっきりに見張っているなんてできないんだから、
みんな、無くなるのを覚悟しておいたほうがいい。」

そういわれました。


私も、夫と、同じこと感じてます。
私に出来ることは何でしょう?

何も出来ないけど、
とにかく、実家へ行ってきます。


posted by BURIO at 08:05| Comment(5) | 私の両親 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月29日

退院後、初めて実家へ

心配が山積みの中、
勇気を振り絞って、実家へ行ってきました。

今日は、もう、へとへとなので、
後日、書かせていただきます。
posted by BURIO at 22:15| Comment(3) | 私の両親 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月28日

実家に電話しました。

あれ以来、
まったく、音沙汰無しできた実家との関係です。

これきりで関わらずに済む物なら、そうしたいと
本気で思ってしまう自分です。

しかし、そうはいかない現実があります。

退院後の初めての予約通院がまもなくです。

おおぼけかましている両親のことですから、
激拒否もあり得るし、
そんなの知らないと、ばっくれるのも、
ひょっとしたら、ありかもしれません。

通院予約日の前日に電話で確認を入れた方が良いと、
私はそう判断しました。

”絶対許さない”
そういって、電話口で怒り狂っていた両親です。

そのことを考えると、胃が痛んで、
嘔吐させ押さえられなくなってしまうのですが、
もう、もう、
まともにやり合える相手ではないことを
私自身に何百編も言い聞かせて、
気持ちを落ち着かせるしかありません。

あくまでも、静かに、
肝心なことを伝えつつ、
強制ではなく、
どうしますか?と、
やさしく、お伺いを立てるムードで会話をすすめていきました。
(私なりに、相当、頑張ったと思います。。。(泣))

認知の母は、ゆっくり何度も、順序立てて説明しても、
母の独自の考え方を主張してくるだけで、
こちらの話しは全く、耳に入ってない様子で、
いっこうに話しが進みませんでした。

仕方がないので、父に電話を替わってもらい、用件を伝えました。

選択権は、全て父サイドにあると言うこと、
低姿勢で、通院をいかがいたしますか?と言うことを
ゆっくりおたずねしたわけです。

父「どうしうようかな〜あ〜?」

私。。。。
はあ?そんなレベルなんだ、父さんは。。。。

そのどうしようかな?の答えがでるのが、
何年後になるのかわからないくらいだったので、
話しをすすめるのに、気を遣いました。

母に至っては、
電話をかけた日の曜日も理解してなかったし、
何で、その日に行かなくてはいけないのかをとても不審がってました。
退院時に予約を決めていたことは、その日に両親共々きっちり伝えていたんですよ。
でも、そんなことは全く聞いてない。
突然、そんなこと言ってくるなんて、何かおかしい。
そんな感じでいぶいかしげであり、
私を疑ってかかってきます。

はあ、、、、
まったく、どうしたら良いんですかね?

挙げ句の果てには
壁に貼り付けているお薬の残りが、
ぴったり通院日でキレずに、
2〜3日余分にあるから、
ちょうど無くなったときに行くべきだ!
そう、しかられまくりました。

何を話しても埒があかず、
クスリがちょうどキレるときに逢わせて通院介助を出来ない私が、
一番いけないと言うことらしいので、
その旨謝罪を述べ、
申し訳ないとさんざん誤りましたが、
それでも母は納得しませんでしたね。
診察予約日を変更させていただきましょうかと、
申し入れもしましたが、もう、そこからは
会話内容がしっちゃかめっちゃかで、
これ以上の電話での確認作業は無理だと、諦めるしかない状況でした。

で、父に電話を変わってもらった。

必要最低限のことだけ話させてもらいました。
何しろ、
絶対許さない、そういった父です。

結局、
はっきりと、病院に行くとも、
行かないとも言わず、、、
父「とにかく、来ればいいじゃないか。」

そういわれましたよ。

憂鬱きわまりないです。
長い、長い、一日になりそうです。

posted by BURIO at 20:25| Comment(2) | 私の両親 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月18日

治療拒否

父の入退院がありまして、
先月からなんやかやと、
あわただしくしております。

ここに来て、
父が必要な手術や、検査などの治療をしないと言い出しました。

で、急遽退院。

そして、
後手後手ですが、
妹に連絡して、
同居している弟に連絡しました。

私からこうだったよと、連絡しないと
相手から何も聞いてこないので、
正直、なんでだろう?と、
憤りも、少なからず感じてました。
今後のこと、現実を受け止めなくてはいけないことなど、
弟に、電話でぶっちゃけたわたしです。
弟からは、返事ばかりで、何も話しが聞けなかった。


で、
その電話を切って、少ししたとき、
父から電話。


一郎が、母さんを殴ったんだ!!!
おまえはいったい一郎に何を吹き込んだからだ!!!
俺は、絶対許さない!!!!

そういわれました。

そして、母が電話口にでた。

BURIOと何かしゃべったからでしょ?
何をしゃべったの?
一郎は何も関係ないのに、
なんで一郎に余計なことをしゃべるの!

びっくりしました。

殴られたって?
大丈夫なのか?

どういうこと?
さっぱりわからない。
こちらから、どういう事かをたずねても、


はい。
はい。
ありがとうございました。
どうもすいません。
はい。はい。
ありがとうございました。
どうも、申し訳ありません。

そればかりをしゃべり続け、
そして、電話を切られました。



呆然とするしかない私です。
posted by BURIO at 09:07| Comment(4) | 私の両親 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月06日

新年の挨拶

新年あけまして、おめでとうございます。
今年もおつきあい下さいますように、
よろしくお願いします。


正月は夫の実家へは行かず、
(遠いのと、雪深いこともあり、冬場は帰省しないんです)
私の実家のみの挨拶となっている我が家です。

さて、このたび両親ともに介護認定の結果が、
要介護2に変わって初めての正月です。

日帰りで、実家を訪問し、
一緒に昼食を食べただけの短い時間でした。

まあ、いろいろと頭の痛いことはたくさんありすぎなんですけど、、、。
なかでも、父の言葉に、ため息です。
私の夫に、笑いながら言ってました。
父「BURIOは、内の家政婦なんだよ。」
そうかと思えば、私に
父「おい、おまえの亭主の名前はなんだったっけ?」
とか。。。。

母もこれまた、妹や私が年末掃除をしてまとめて捨てたゴミ袋を
しっかり、拾ってきたんでしょうね。
応接間に並べてあって、
母「これ、持って行って使って頂戴。」
と、とんでもないことを言う始末です。
いらないから、持って行けないよ。
どうしてもというなら、私が処分するよ。
そういうと、
母「捨てられてしまうんなら、あんたになんてあげないわよ。
  まったく、かわいげのない子だねえ。」
って、憎々しげに言われまして、
その後も何度も、何度も、
なんで、喜んで持って行かないんだど、怒りだしてました。
母「ああ、おもしろくない、まったく、嫌になる、
  ちっともおもしろくない。」

自分がいらない物を人がありがたがって欲しがったりするもんですか!
そう、母に、話すと、
母「あんたみたいな根性の悪い人間だからそうなんだ。」
と、訳がわかりません。

偶然弟もいたんですけど、
この弟も、よくわからんひとなんです。
私は、どうも、弟見ているとイライラ加減が倍増してきてしまいます。

まあ、そんなこんなで、
長居は息苦しさを増すばかりなので、
我が家は早々に退散です。

夫はなんとか、父の話し相手に数分間努めてくれ、
娘も、私が父の服薬管理のチェックをしている間、
母の話し相手をしてくれました。
あとで、娘に、ばーばと、何話していたの?と聞くと、
娘「ず〜っと、文句ばかりしゃべってたよ。」
聞いてくれて、ありがとうね、と、私。

そっか、文句ばかりか、、、
私も、母に似てきているのかな?

正月早々、ぞっとするなあ。

次の父の通院日には、ケアマネとも会わなくてはならない。
プランがどう変わってくるのか。。。
今年は、少し、動き始めると良いなと、考えてます。
posted by BURIO at 21:45| Comment(2) | 私の両親 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月12日

怖い夢

恐ろしい夢を見てしまいました。
朝方の2時頃に、恐怖のあまり目が覚めてしまい、
それきり、眠ることが出来なかった私です。

何の夢を見たかって?

恐ろしすぎです。

実の母親の夢でした。

もう、全身凍り付きそうで、
でも全力疾走で、母から逃げ切ってみせると必死な私が
夢の中で息も絶え絶えに走ってましたっけ。

ああ、恐ろしい。

本当に、これは
やばいくらいにおっかないです。

この危機感、
リアルでないことをひたすら祈り続けるしかない私です。

もう、実家に行きたくない、って、言ってもいいくらいですもの。

母からの呪縛で、私は生きていけないかもしれない。。。。
posted by BURIO at 20:57| Comment(2) | 私の両親 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月11日

私の苦手

私は、母が苦手なのだ。

もう、それはそれは、
一緒にいられるタイムリミットが、
3分で、もう、ぎりぎり超えてしまうくらい、
本気で、苦手だ。

気持ち的にどうこう言う前に、
私の身体が拒絶反応を起こす。

今回は、週に3日、
しかもその内の一日は、
父のデイサービスの周年記念行事に家族参加するという、
離れ業を、私は母を連れて、一日過ごしたのだ。

連日実家訪問をした私のストレスは、
もう、吐き気は押さえられないし、
喘息の発作は出てしまうし、、

胃が痛い。。。。

最後は、もう、母の顔など見ることも出来ず、
振り向きもせず、
全力疾走で、最寄り駅に駆け込んだ私でした。
しばらくは、後ろから母が追いかけてくるのではないかと、
恐怖すらありました。

いったい、どっちがおかしいのかが
もはや、わからなくなる勢いです。

発作の苦しさなど、
そんなもんは構わないくらい、
一刻も早く、その場から立ち去ることでしか、
自分が壊れていくのを、
これ以上止められないという、危機感で、
もう、もう、、、
嗚咽でした。

家族の認知対応が
これほどまでにきついものだとは。。。

思わず絞め殺してしまいそうになると、
誰だかから、聞いたことがあります。
その時は何を言っているんだろう?的な私でしたが、
今になってみると、
まったく、それは十分ありなのかもしれないと、
そんな風に思えてきてしまい、
自分の未熟さを恥じています。


それでも、認定更新のため、
近いうちに母を病院に同行しなくてはなりません。

逃げ出したい気持ちです。

全てが拒否から始まって、
相手をこれでもかと、非難して否定して、
そして、どれだけ自分が優れているかを、
徹底的に相手にアピールしてくるひとです。

出掛けるときにいきなり母が言ったんです。

母「ああ、気持ちが悪い。
   胸がむかむかする。
    なんでだろう。
     BURIOがここにいるからだわ。


     吐き気がする。」

全てこの調子で、一日がスタートしていきます。

相手が病気だとわかっていても、
この調子で、たたみかけられ続けると、

もう、こちらの精神状態は尋常でいられなくなってしまうんです。

一緒に住んでいる我が弟は、
どこまでも傍観者で、、、。
こっちにもあきれかえっているところです。

今後、どうしていったらいいんでしょう。

幸い、父の包括の担当者が、
私の相談に力を貸してくださってます。

それにしても、
この先、考えるだけで、倒れそうになります。
posted by BURIO at 12:51| Comment(2) | 私の両親 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月10日

いつでもクライマックスだぜ。。。

え〜〜〜っと。。。。
今週は、マジで、マックスな大変さでした。
一週間7日うち、3日も実家で戦ってきました。

本日なんて、もう、
もう、、、、
私の持病の喘息発作は起きまくり〜の、
過呼吸もマックスだし、
血圧上がりまくりだし、もう、
もう、
精神状態、めちゃくちゃになりながらの実の両親介護デスタ(泣
posted by BURIO at 20:26| Comment(0) | 私の両親 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月30日

更新時期がやってきます

ほっとらかしだった介護保険の更新手続きをしたのが、
今年の春です。
すったもんだで、何とか父だけは、利用にこぎつけ、
デイサービスを開始しました。
そして、この秋、更新の時期になってしまいました。
再び、認定調査です。
包括担当はタレントの森泉さんに激似のお姉さんです。
この方が、実に親身に相談に乗ってくれ、
スピーディに段取りを組んでくれるので、
本当にありがたかったです。
今回の更新に関しても、対応がスマートで、心強い限りです。
しかしながら、母のことも考え含むと、
今後のことを考え、居宅介護のスタイルをベースにすることになります。
と言うわけで、ケアマネが、ここで登場することになりました。

で、両親共々顔合わせやってきました。

見た目が、リハビリのスタッフってカンジです。
だって、白衣なんだもん。
ルックスは、若手韓流俳優ってムードです。

なにはともあれ、
これから、よろしくお願いします。

いろいろ考えると苦しいけれど、
とにかく、もう、スタートしてしまったのだから、
皆さんの手をお借りして、進むしかないのです。

自分の親が対象になってしまうと、
仕事で行っているケアとは、
大きく介護という物が違って見えるのは、何故でしょうね?

息することが、苦しくてたまらない、
そんな実家での時間、
益々、長く感じてくるのかな。。。。
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2007年09月12日

記事が書けない間に〜

なんでだか?
自分のブログに入れない間がしばらくありました。
そういうときに限って、書きたいことが目白押しだったりします(笑

私の親のことです。
色々ありましたが、
なんとか、父だけは
デイサービスを利用することが出来るようになりました。

母は相変わらずの拒否です。

たった、それだけのことなのですが、
ここまで来るのに、本当に、大変でした。
一緒に住んでいる弟、地方に嫁いだ妹の同意を得てからにしようと、
そこら辺を考慮した現状のなか、
家族間の同意と共感を得てからの通院やら
もろもろを実行するのは本当に難しい物です。

結局、お金のことに異常に反応する母親の神経を刺激しないように、
支払い関係は、全て私が銀行口座を作って、私が支払うことにしました。
とはいえ、私は三人兄弟です。
兄弟で、何とかしようと言うことになりました。
そういいつつも、
一筆書いてもらったわけじゃあありません。
通院も、支払いも、
日常生活の諸々を私が通いでお手伝いしているんですけど、
まあ、誰に頼まれたわけでもありません、
必要だと、私の意志でしていることですから。

それでも、弟妹から、金目当てではないかと、
批判や疑いの目で見られるのは、正直ビックリしています。

関係者に全て報告、相談するだけでも、楽じゃないのに、
それ以上の事を関係者に望まれても、、、、

ごめんなさい、
答えることが難しいのは、
私の力不足、、、
、、、故なのでしょうか?

ここに来て、そこら辺のこと、
とっても、負担だし、
苦しくなってきています。

まあね。。。。

誰も頼んでいない、
余計なこと、
そういわれるのがおちなんでしょうね。

あんたが、勝手に、
それこそ、好きでやっているんだから
文句は無いでしょう?的に、言われてしまえば
まあ、それまでなんですよね。。。。

娘として、経済的に何も援助出来ない状況だったら、
私は、何も出来ないって事?

子供として、親に出来る事って、
金銭的以外に何があるんだろう?

わからないよ。。。。






とにかく、父のデイサービスに関してはお金のことだけでなく、
もろもろ私が引き受けたって事で、
誰にも文句は言わせないよ。
っていうか、
こういう言い方、
自分がするのはとてもいやだな。

なんだか、そういっちゃうことが、
逆に、哀しすぎるって事も、
私的には、わかっちゃっているんだけどね。。。


私を責めるなら、
じゃあ、誰が毎週父を風呂に入れてくれますか?と?
私は、そう聞いてしまいますよ!!!
週二日父親をふろに入れることの厳しさを、
我が兄弟の誰が?わかってくれるんだろう?
厳しいと感じました。。。

反対はしないし、何のこごとも口にしない家族です。
でも、
賛成と言う様子でもないようだし、
はっきりしない。
しかし、最近では、中途半端な日本語で訳のわからないことを口走ることが儘なりません。
意味として、通用したとしても、
耳障りな言葉が多いので、ちょっと驚いてしまいました。
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2007年07月07日

父の通院介助〜待合い時間

総合病院というのは
実に待ち時間がたっぷりあります。
病気のデパートの父などは、
1回の通院で数カ所の診察科目をはしごしなくてはなりません。

その日の会計待ちで、いい加減くたびれ果てて待っていたとき、
我々の前にいた3人のご婦人の中の一人の頭を、
思いっきり杖の先を振り下ろしてたたく高齢者男性がいた。
周囲の待ちくたびれた患者数十名が、
その光景に釘付けになった。

杖男性「ばかやろう、俺は耳が聞こえないんだから、
    おまえがちゃんと受け付けを聞いてないとだめだ!!!
    まったく、おまえは何の役にもたちやしない。
    ばかやろう、どうしようもないやつだ!!!」

どうやら、ご婦人の夫らしい。
はめ込み型の補聴器をされてました。
立位も、歩行もやっとこのようで、
年齢は、80歳は超えているかな?

ご婦人は夫の通院同行で、
受付で診察券を出したところで知り合いの患者さんにバッタリあって挨拶やらおしゃべりをしていたらしい。
ご婦人の友人らしい方たちはもう、ビックリして大丈夫?と、声かけていたが、
ご婦人は半んべそをかいていた。
そして、がなり立てて罵倒し続けている夫と距離をしっかり置きながら
受付の声に全身を
それこそ、耳にして、じっとたたずんでいた。
程なくして受付から呼ばれ、
夫にカードを渡し、これから行くべく診察室への説明を夫の耳元で何度も声掛けしていた。
夫は、彼女の言うことなどまったく遮るように罵倒し続ける。
妻は、またぶたれるのではないかと、適度な距離を置き、
目的の診察室に向かって歩いていった。

とたんに、夫は激怒した。
杖男性「ばかやろう、何処に行きやがる!!!
    この女は何の役にもたちやしない、ふざけたやつだ。
    俺は、耳が聞こえないのだ。
    それ相当の扱いをしやがれ、ばかやろう!!!」
杖を振り回した。
しかし、先に歩き出したご婦人には既に届かない。
ご婦人は一度も振り返らず、曲がった腰と、
おぼつかないよたよたとした足を引きずりながら、歩いていった。

男性は目も悪いのか、ほんの数歩ご婦人が歩き出したところで、
見失ってしまっていた。
そして、また、聞くに堪えない言葉で彼女を侮辱しまくっていた。

待合室は観客席に化していた。

さっきまで、談笑していたおばさまたちは、
「これだけ人前であれだけのひどいことをするって事は、
  日頃、自分のうちではもっと奥さんを痛めつけてるに違いないわよ。
奥さんだって、介助が必要なくらいなのに、
なんで、ヘルパーを使わないんだろうねえ?」

そんなことを話していた。

私にも、その光景は驚くべき事ではあったが、
一緒に見ていた父はどう思ったんだろう?

父も耳の聞こえが大変悪い。
しかし、だからといって、母に手を挙げることはない。
というか、
逆に母にぼこぼこにされている。

いろんな夫婦があるもんです。。。。

私だったら、どんな事情があったとしても
暴力は、耐えられないだろうなあ。。。
posted by BURIO at 21:37| Comment(2) | 私の両親 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月06日

父の通院介助〜タクシー編

ここ数回、父の通院介助のため時間を作って実家がよいしている私です。

自宅から病院まで、
歩行が困難な父の同行ですから、タクシー利用です。
まだ、ほんの数回しかそこの会社を利用したことが無いのですが、
これが、運転手さんによってサービスの内容がとっても違うのに驚いています。
一番はじめに利用したときの運転手さんは、
ごく普通の年配の方でしたが、
とても社内が清潔で、言葉使いも丁寧で気持ちいい物でした。
その後、その方のようにまでは清潔とは言えない車内を経験し、
まあ、可もなく不可もなく程度の運転手さんたちでした。

ところが、その日の病院までの運転手は、
最悪でした。
何が最悪かというと、けんかを売ってくるのです。
運転手の独りよがりのよかれと思うことを
利用者サイドに強要してくるのです。
こちらの状態がどうであるかの現実を全く見てくれません。
聞く耳を持ってません。
俺がせっかく、おまえらのためにここまでしてやろうとしているのに、
おまえらの態度はなって無いじゃないか!!!
そういわんばかりの攻撃的な言葉をねちねちと、言われました。
いちいち、このいかれた運転手にわかりやすいようにかみ砕いて状況を説明して、運転手の気持ちを和らげようと利用者である私たちが気遣いしないことが極悪であるかのごとく、
ぎりぎりの遠回しの言葉を使って攻撃しまくってきました。

呆れました。

ぶち切れそうな私でしたが、
こんな馬鹿野郎にまともに立ち会ってもいられないので、
「うわ〜っ♪、そこまでけんか売って来ちゃいますかぁ?」
って、おどけてみせるのが精一杯でしたね。

父が歩けない身体で無かったら、
ぶん殴ってタクシー速効降りてましたよ。

その暴言ぶりは執拗に最後の最後の料金支払い、
タクシーを降りるまで、これでもかと続きましたよ。

何十年生きてきて、
これほどのひどいタクシー運転手に出会ったことがありません。

後で、父にその旨話すと、
耳の聞こえが悪い父には、
ほとんど、私と運転手の攻防戦は聞こえていなかったらしく、
話しになりませんでした。

もう、あのタクシー会社は利用するもんか!!!!
そう、結論出すしかない私でした。

こんな不愉快な思いをするとは夢にも思いませんでしたよ。
がっくりです。
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2007年05月09日

介護保険申請

私の両親のことです。
何年か前に、申請手続きしたんです。
更新にもなんどか立ち会ったりもしました。
が、ここに来て、母が更新手続きを見送ってしまったのです。
と言うことは、また、最初から申請しなくてはならないようです。

ようやく、母を連れて、役所の窓口で申請申し込みをしてきました。
が、
認定調査はいやだとか、
諸々の不満をぶちまけだして、頭が痛かったです。

とにかく、調査日が決まりました。
もちろん、私も時間を作ります。


期限切れの介護保険証を提出して、
預かり証のようなものをもらって、
認定調査が終わってから、
新しい介護保険証をもらうんだと言うことが、
なかなか母には伝わらなかった。
自分の大事な物が取られる、という意識が強すぎて、
「これは、渡せない。」
と、もう、頑固でした。

それでいて、介護保険サービスは絶対自分には必要ないし、
使うわけにはいかないんだと、その一点張りです。


母は、買い物に出ると、
自分が何処に行こうとしていたのか?
どうやって家に帰ればいいのかを、
忘れることが多くなってきました。

3年前くらいから、その兆候を私は感じていましたから、
介護保険申請や、医療機関にかかることもすすめてきましたが
拒否が強く、足踏み状態でした。
加えて、当時は私の弟妹も、
私の言うことをまともに取り合ってくれませんでしたから。。。

何より、両親は医者や病院に対して敵意はあっても、好意はいっさい持っていませんから、なおさら、話しが進まないのです。

その日の母と私のコミュニケーションは、
いろんなものがあったのですが、
いちばん、がっくり来たことを書きます。

二人で役所の用事を済ませて、
じゃあまたね、と、別々の道に分かれるときに、
母が、駅までの道を詳しく教えてくれました。
そっちの方が近道だと。

そして、母は自宅から今来た道を
振り向きもせずに、帰って行きました。

駅まで行くのに、実家に戻った方がどう考えても順当だと私は考えたのですが、とりあえず、母の言うとおりに歩きました。

案の定、まったく、違う地区を目指すことになりました。

私は、それでも散歩気分で相当時間はかかりましたが、
私は無事に目的の駅に到着しました。
心配なのは、母は何事もなく、自宅にたどり着いたのだろうかということ。
一緒に帰ろうとする私をはねつけるように行ってしまった母でした。
いろいろ思いが巡ります。
posted by BURIO at 21:20| Comment(6) | 私の両親 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月31日

母の抵抗

今日は再び実家へ行ってきました。

父の入浴介助と、
もろもろの家事です。
今回は母が在室でしたので、大変でした。
罵倒され、ののしられ、、、(泣
父と母が口論となり、、、
私のしていることはいったい何なんだろう?と、
めっちゃ落ち込みました。
これからが益々きつくなるのは目に見えてます。
打たれ強くならなくては。。。

そして、我が家にたどり着いたあと、
妹に報告の電話です。

またまた、落ち込みです。

妹とは理解は出来ても、
共感は出来ないなって、
改めて思い知らされました。

疲れました。
posted by BURIO at 21:47| Comment(2) | 私の両親 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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